本学園茨城女子短期大学の小野名誉教授の連載記事 第5回が、茨城新聞『茨城論壇』に掲載されました。
掲載された記事を以下に転載しています。ぜひご覧ください。
第5回 2026年01月10日土曜日掲載
初の実践的幼児教育論
豊田芙雄の著作に『保育の栞』がある。近代日本初の実践的幼児教育論として注目されている。幸いなことに茨城県立歴史館高橋清賀子家寄託文書の中に芙雄直筆稿本が現存しているので、この資料を中心に考えてみたい。
これまでに『保育の栞』は、倉橋惣三・新庄よし子による『日本幼稚園史』(1930年5月25日)に収録されたものが、初出であるように書かれているものもあるが、実は、これ以前に倉橋惣三は、雑誌『幼児の教育』(1929年8月15日・同9月15日発行)に2回に分けて、ほぼ忠実に芙雄の『保育の栞』を掲載している。しかしその後、倉橋惣三は前記の『日本幼稚園史』に本文を掲載するに際し、表記や文言等に多少手を加えたり、本文を入れ替えたりしているため、芙雄の直筆稿本と活字本との本文校訂上違いが見出される部分が生じている。何れも倉橋惣三の手により行われているものと思われるが、
倉橋は、無断では行わないであろう。芙雄との了解の元での作業があったものと推察するものである。
1929年8月15日発行による『幼児の教育』の中で倉橋惣三は、「去年夏、私が同女史を水戸の寓にお訪ねした時の記事も、嘗て本誌に掲げて置いた。この『保育の栞』は、同女史が保姆(以下保母と表記)(幼稚園教諭)たりし当時の手記にかゝるものであって、我が国最初の保育論の一つである。特に女史の許しを乞うて、こゝに本誌に紹介することを得るは、独り本誌の幸せであるばかりでなく、我国幼稚園教育史に興味を有せらるヽ諸君の為に、極めて有益なる資料であると信ずる。」と書いている。そして倉橋惣三は、『日本幼稚園史』の中でも、「保育の栞は、豊田芙雄女史が、当時女子師範学校附属幼稚園在任中の折に書かれたもので、わが国最初の保育論の一つとして唯一の貴重な記録である。」として次の様に章立てをしている。
「幼稚園 保母の資格 保育の注意 開誘の方法 保母の心得 (『幼児の教育』初出では、章立てはしていない)と五章立てにしている。しかし、芙雄直筆稿本では、「幼稚園 保母の資格 保育の注意 開誘の方法」と四章立てであり、本文上においても入れかえた部分もある。
各章の概要についてみると、「幼稚園」では、はじめに、「幼稚園とは何ぞや」と読者に問いかける対話形式で導入し、答えとして「一つの楽しき園なり」と断言している。ここに集まる子どもたちは、草木が新芽を出そうとしているような三歳から六歳までの子どもたちで、柔らかい葉っぱのようなものであるから、知恵のおこり発生に注意しなければならない。この萌芽の時に障害を為した場合には、その子のそれからの発達を阻害するものであり、これは、生涯にわたるものであるので、健やかな身体と爽やかな精神を養いながら、その子の生まれつきの性質を傷つけないようにしなければならない。そして、心性を耕すことにおいて気をつけなければならないことは、二つの枝葉があることで、一つは、徳育であり、もう一つは、知育である。この二つの中で一つでも失ってしまうと、生まれつきの優れた才能を失ってしまうことになるので、保母や母親は、ここに注意をしなければならない。子どもの成長する様子を植物の生長に例えた表現となっている。これは、芙雄の一貫しての教育理念となるもので、非認知能力の育成につながるものである。芙雄がこのように幼児教育の核心を突いたことを早くから説かれていることに注目したい。



