秋桜ブログ

小野名誉教授の連載記事 第7回が、茨城新聞『茨城論壇』に掲載されました。

本学園茨城女子短期大学の小野名誉教授の連載記事 第7回が、茨城新聞『茨城論壇』に掲載されました。

掲載された記事を以下に転載しています。ぜひご覧ください。


第7回 2026年05月23日土曜日掲載

「保育の栞の心得25条

「開誘(教え導くこと)の方法」では、子どもたちを整列させ保育室に導き、奏楽に合わせて歌をうたう。それから恩物の第一から第六の中で一種類を選び、順を追って構造の物体をつくり、好きな様々な物体をつくったら、時間を見て箱にしまわせ、それから遊戯室に行き遊ぶ。昼食時には、規律整頓する。食後の随意の時間であっても保育者は、監督を怠ることはしないように。「子供の本性はさがりて随意の時に現わるゝ」と書いているように子どもの本性は予想に反することもあり、自由な時間等にも注意しながら見守らなくてはならない。保育者については、「保母は種々新案を以て遊戯に充つる歌詞及所作をも工夫し古きに換へしむる意匠あるべし。」と、遊びや遊びにする歌詞や所作等を工夫しながら新しいものにかえていく心構えを持っていなければならないとしている。これは、従来のものに固執せずに、より良い物を目指すという非常に柔軟で進歩的な考え方であろう。

最後に25条に分けて保育者の心得について書いているが、芙雄の幼児教育に関する最初期の知識と経験が余すことなくみなぎっている条文である。二、三の条文を除けば、ほぼ現在に通じる保育の基本的なことである。

『保育の栞』は、幼稚園での教育方法、保母の資質、保育の留意事項、保育の方法、そして25条に分けた保育者の心得について書かれたものであり、芙雄の子ども観・保育観・保育者観が良く表れている。毛筆による和漢混交文とも言える文章表現の筆使いの流れの中から、生きいきとしたものが浮かび上がり、芙雄の幼児教育に対する熱意とその息遣いが深く感じられる。

このように見てくると、『保育の栞』の執筆時期については、「『豊田芙雄と草創期の幼稚園教育』(2010年3月1日 建帛社)の「『保育の栞』の謎と意義考」にあるように「当時少しばかり書き置きしたるもの」が数点の文書であり、それらを昭和3年の時点で整理し、浄書したものであるとすれば、『保育の栞』は、明治十年前後から明治二十年代半ば位のまでの幅広い文章を含むことになり、執筆時期を一点には絞り込むことは出来ないものと思われる。」とあるように、幼児教育者として活動していた最初期時代のものと考えられる。

現存する手記の1880年7月と記された「育子トハ何ソ」や「小児教育論」、「幼稚園保母ノ目的ハ気長」、「植物ノ性云々四葉」等の同内容は、『保育の栞』に収録されており、『代紳録全』、『代紳録二』、『恩物大意』等にも記載されている。

芙雄は、資料等の保存を大切にしていたので、『保育の栞』は、元々芙雄自身が幼稚園に関わった時代の経験による手記として残してあったものを1928年の8月に倉橋惣三が水戸の芙雄宅を訪ねたことにより、話題として手記のことについてふれ、そこから発展し、推敲しながら浄書し、倉橋惣三に送り、倉橋惣三の手により、1929年8月号の『幼児の教育』に第1回目が掲載され、次いで「承前」として9月号に掲載されることになったものであろう。そしてその後の1930年5月に発刊された『日本幼稚園史』に収録された。

結びに、芙雄のひ孫の高橋清賀子先生は、「芙雄が力を入れていたのは、女子・幼児教育ですが、中でも幼児教育者の育成にありました。」と言われておられましたが、昨今の幼児教育を志す学生の減少傾向の中、もう一度幼児教育の原点に戻り、社会全体が幼児教育の重要性を再認識し歯止めをかけなければならない。

 

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