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ひな祭り

ひな祭り

3月3日は「ひな祭り」「桃の節供」ともいわれ、「ひな祭り」は江戸時代からの女の祝い日です。私達の学校では、2月になると、「おひな様」を飾って「ひな祭り」をすることが、家庭クラブの年間行事の一つになっています。では、この学校でひな人形を飾ることを思い立ったのは一体誰だったのでしょうか。ここに「私達の手でひな人形を」という家庭クラブ活動の古い記録があります。約60年前の卒業生が残してくれたひな人形の由来をたどってみましょう。

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私たちの手でひな人形を

1958年(昭和33年) 3年7組(家政科) 家庭クラブ活動
3月は卒業の時期、そして女の子の節句です。それに女子校なので、学校で「ひな祭り」を催したいと思います。私達の年齢になっては家庭で「ひな祭り」の節句を祝う事も少なくなっていると思います。せめて学校で「ひな祭り」を行い、日本古来のゆかしい風習に接したいという願いから、私達の手で学校にひな人形を揃えることにしました。
私達はさっそく、ひな人形を揃えるために、具体的な話し合いを行いました。一番の問題は、費用がどのくらいかかるかということ。さらに、そのお金をどのようにして作るかということです。
近くの人形店に出かけ、人形を見せてもらい、値段を聞いたりしてきました。予算を立ててみると相当な額になります。私達の力だけではとても難しいことがわかりました。それでもあきらめず何回も話し合いを重ねた結果、「5カ年リレーひな人形作り」を考えだしました。そして私達の後に続いて、家政科3年になる人達にお願いして、実施にかかりました。

1年目「内裏様」
2年目「三人官女」
3年目「五人ばやし」
4年目「右大臣・左大臣」
5年目「仕丁・調度品」

資金は年がおしせまってからの計画でしたので、思うように行かず、農家の人は卵、その他の人は雑巾づくりをして、これをお金に代えました。これでまず「内裏様」を購入しました。「ひな祭り」をするのに、赤い布、ひな菓子、お花を買い、菱餅は農家の方が餅米を持ち寄って、餅屋に頼んでついてもらいました。
こうして2月27日に、私達は初めての「ひな祭り」をしました。金びょうぶに映える「内裏様」、皆で協力して揃えた「内裏様」、たった二人のお雛様ですが、教室の中がパッと明るく、輝くばかりの美しさ、卒業を目前に控えての事だけに、その感激も深く、私達は手を取り合って喜び合いました。その後3月3日まで校長室に飾り、全校の皆さんにも見ていただき、クラブ員が交代で奉仕しました。
楽しい「ひな祭り」も済んで、私達も「ひな人形リレーのことば」と目録を次の年度に送り、協力をお願いしました。今年は「内裏様」だけのささやかな祭りでしたが、想像以上に活動の楽しさを知りました。
そして、二つの人形を宝石でも扱うように丁寧に保管して、下級生に伝えました。

2年目の活動状況

1959年(昭和34年) 3年9組(家政科) 家庭クラブ活動 昨年の卒業生の記録簿を先生から見せていただき、先輩方の計画に賛成し、早速計画が練られ、早めに資金づくりの実施に取り掛かりました。資金は昨年同様、卵の販売、雑巾の販売をしました。その収入で、三人官女、ぼんぼり、花瓶を購入することができました。
また、菱餅を昨年の卒業生が届けて下さいました。「ひな祭り」をするにあたって、私達は白酒、お花、ひな菓子などを買い揃えましたり、花を生けるなど、おおはしゃぎで準備しました。
しかし、五段のひな段や緋毛せんまでは手が回らず、やむを得ずみかん箱に赤い布を引いて飾ろうとしているとき、校長先生が見兼ねてポケットマネーで豪華な「ひな段」「緋毛せん」「左近の桜」「右近の橘」を一度に揃えて下さいました。 二年目にしてこのように豪華になったことを大変嬉しく思いました。このときの様子は、茨城新聞の記事になりました。

3年目の活動状況

1960年(昭和35年) 3年8組(家政科) 家庭クラブ活動
昨年に引き続いて、本年もこの行事に参加することになりました。今年は五人囃子で資金もたくさんかかります。そこで、今年も卵の販売が主でしたが、資金作りも活発で、4回に渡り行われました。その結果、「五人囃子」「お膳」「菱餅」が揃いました。
今年は計画の中間に当たり、先輩、後輩の皆さんをご招待して、和やかな「ひな祭り」を行いました。3年目にしてこのように賑やかさを増したひな祭りを見て、卒業生の皆さんは心から喜んで下さいました。作法室に飾り、全校生徒にも見てもらいました。

4年目の活動状況

1961年(昭和36年) 3年12組(家政科) 家庭クラブ活動
今年はリレーの4年目を迎え、私達の家庭クラブ活動としてお引き受けすることになりました。資金作りも4月から計画を立てていました。ところが普通科3年の全クラスの皆さんから、おひな様に心をうたれ、ぜひ私達にも協力させて欲しい、そして早く完成させたいとの申し出がありました。思いがけずたくさんの資金が送られました。早速私達の資金と合わせて、仕丁・その他のお道具など全部揃えることができました。五カ年計画の人形作りが普通科の皆さんの協力で4年をもって立派に完成しました。年々心を込めた努力の結晶である人形を目の前にして、ただ感激でいっぱいです。このひな人形完成を機会に、「ひな祭り」が学校家庭クラブの行事として取り上げられることになりました。ささやかなこの1クラスの家庭クラブ活動が、全校生徒参加の華やかな「ひな祭り」として美しく身を結んだわけです。このゆかしい行事と共に、卒業生と在校生の絆を強め、旧友との親睦をはかると同時に、卒業後は懐かしい思い出の一こまになると思います。

5年目の活動状況

1962年(昭和37年) 3年11組(家政科) 家庭クラブ活動
ひな人形は4年をもって完成しましたが、5カ年リレーの最後の年にあたる5年目を迎え、私達は話し合いの結果、最後の締めくくりをしたいということになり、「男の子・女の子一対の人形」を加えて、さらに賑やかさを増しました。一致協力、ついに夢に描いた「おひな様」がここに完成しました。
私達は、「おひな様作り5カ年リレー」の最後をはたしてほっとすると同時に、最初に計画し、実行された旧家政科3年7組の先輩方に、限り無い尊敬と感謝を捧げます。何にもまして、価値あるこの贈り物を大切に保存するために、「しまい方」なども合わせて研究し、その美しい姿と心を損なわないように、次の人達に伝えて、私達の成長に永く役立てたいと思います。

その後から現在までの活動状況

今はもうすでに母親やおばあちゃんになられている多くの先輩方によって、次々と愛され伝えられてきた「ひな人形」が、まだ見ぬ多くの後輩へと伝えられていくのは、何と貴いことでしょう。人形と共に先輩方の心のぬくもりも伝わってくるようです。
その後あらたに、「男の子と女の子の一対の童人形」が購入されました。また、現在作法室に飾られているひな人形は、平成5年に、卒業生の父兄の井上様から寄贈された7段飾りです。先輩方のひな人形は、40年近く経っているため、大分疲れてきており、今はゆっくりと休んでいただいています。お人形は、これからもずっと、家政科で管理していきます。3年生が飾り付け、家政科の2年生がしまいます。皆さんのお家でも、押し入れの中で眠りつづけているひな人形はありませんか。ぜひ飾ってあげましょう。きっと人形達も喜ぶことでしょう。
私達は、「学校ひな祭り」を通して先輩後輩の親睦をはかり、また、忘れがちな日本古来のゆかしい風習や、世界的に優れた美術品である日本人形を見直す機会にもしたいと思います。

ひな祭りの意義

3月3日は女の祭りといわれていますが、そのおこりは、「人間の身についた罪・けがれをひと形につけて川に流した」いわゆる流し雛の行事がもとで、まじない的な意味をもっていたものです。もとは、ひな人形は紙や土焼きの質素なもので作られて、祭りが済めば川や海に流したものでした。その後だんだん人形が立派になって、その道具類まで作られるようになってくると流すのが惜しくなり、美しいひな段となって飾られるようになりました。「このおひな様のように美しく育ち、このような立派な嫁入り道具をもって、幸せな結婚ができますように」と、世の親達の愛情と願いを込めて、女の節句の「ひな祭り」が年々盛んに行われるようになりました。

ひな祭りの由来

昔、中国では3月3日に河原へでて「払い」をする風習があり、うたを作ったりして楽しみました。日本にもこの風習が入ってきて、平安時代にもっとも盛んに行われました。「ひと形」(人形)を作ってこれで体を撫で、心のけがれや災いを人形に移して川に流し、身を清める行事です。『源氏物語』にも「春3月、須磨の海辺にでて、払いを受けた「ひと形」を小舟にのせて海に流す」というくだりがあります。
現在は、鳥取市だけに「流し雛」としてこの風習が残っています。この「鳥取の流し雛」は素朴な紙の人形です。赤い色紙の衣装をつけた質素な人形を、竹に挟んで桟俵にのせ、菱餅や炒りあられ、サザエなどの貝類、それに桃の花の小枝を添えて、清い川に流します。
近世になって民間で、三月の人形飾りが流行して、紙ひなを飾るようになり、これから節句の人形も「ひな」と呼ぶようになりました。その頃は、「めびな・おびな」の一対の紙びなをびょうぶの前に飾って、菱餅や白酒を供えて、祝う粗末なものでした。
元禄の頃から、布製で公家の盛装をしたひな人形が出始まったといわれています。その後、江戸時代の中頃から「めびな・おびな」ばかりでなく、他の人形や道具類まで、ひな段に赤いもうせんを敷いて華やかに飾るようになりました。「ひな人形」ということばもその頃から使われ出したといわれています。
こうして、はじめはお払いやおまじない的な意味をもっていた人形が、だんだん美の対象と考えられるようになったのです。

家庭クラブについて

正式には「学校家庭クラブ」といい、学校で家庭科を学ぶ生徒が協力して研究活動や奉仕活動などを実践していくための集団です。戦後の昭和20年代に、アメリカの指導により設立されたもので、FHJ(Future Homemaker if Japan)を別称とします。以下、信条です。

1. 未来の望ましい家庭の建設を目指し、家庭科の学習に励みます。
2. 創造の精神と積極的な勤労を重んじ、愛情をもって奉仕します。
3. 健全な心身のかん養につとめ、日本の伝統に即した近代的な家庭を作ります。
4. ホームプロジェクトを実施して、家庭生活の改善向上をはかり、学校家庭クラブの活動によって地域社会の発展に貢献します。
5. 学校家庭クラブの活動を通して、世界の若人と手をつなぎ、平和で明るい社会の建設につとめます。

以上、全国高等学校家庭クラブ連盟編集の『FHJ GUIDE BOOK』を参考にしました。